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2024.3.18 07:00ゴー宣道場

中国の八路軍について祖父母の気持ちを添えてご紹介致します。

皆様、こんにちは!公論サポーターのアラフォー女子介護士のランランと申します。

今回は大陸の祖父母がいた八路軍についてご紹介したく思います。
八路軍と言えば、毛沢東が率いて、農民や貧民を虐げる国民党に抗って、人民の為に奮起して立ち上がった義勇軍!というのが、モットーで、大陸の戦争映画にも欠かせないフレーズになります。(30,40年以上前の農民や大衆の共通の感覚だったと思われます。)

実際の八路軍は、1927年代に毛沢東が大陸の主流であった、国民党のやり方に不満を覚え、義憤による(?)武装蜂起して失敗し、もう一つの武装蜂起してた朱徳という人が率いていたグループが合併したのが八路軍の始まりと言われてます。要は敗残軍の寄せ集めですが、当時の大陸は貧民や農民が富裕層より多く、また税収もエグく、腐敗した官僚や地主が貧民や農民を虐げていた為、貧民や農民達は毛沢東達の貧民農民救済の大義に期待を寄せていました。

当時の八路軍の特徴と言えば、人心を掴むのが上手く、さながら惻隠の心を利用したと言えるやり方で、毛沢東は良く三国志演義や水滸伝を大衆に聞かせて
敵方は逆賊曹操、悪人皇帝に、自分達は悲劇の大義ある主人公側の劉備や、最後に勝った梁山泊を寄せた振る舞いで、良く今も言われるのが、毛沢東は劉備で、周恩来は諸葛亮孔明というフレーズです。実際、周恩来は八路軍の軍師、参謀として内政や外交にも活躍した人で、祖父が尊敬する一人です。(そして最も油断ならない喰えない人です。)素朴で粘り強い軍隊として有名になりました。”(当時)は本当にまともで人格者が多かったんだ!大義があったんだ!”の祖父と同じ気持ちを多くの方が持っていたと思われます。

もう一つの特徴は支持する層の厚さと数です。
八路軍は義勇軍として立ち上がり、支持するのは多くの農民と貧民で、また、義心があり、弱者に寄り添おうとする一部の富裕層や知識人が参入しています。主に医師や学者、教師などです。更に劉少奇などが率いていた外人混合部隊(祖父母含む)も数に入れると幅広い層となり、国民党にない強みだったかと思われます。
これらに加え、八路軍十八番のゲリラ・人海戦術があり、祖母に言わせれば不撓不屈の根性で天下を取れたそうです。また、祖父いわく、勇敢に(敵の)戦車の下をくぐり、弾丸の雨に怯まず、仲間たちと戦うのが我々の強み(意訳)で正義との事でした。
以上が昔の八路軍のご紹介です。

現在の八路軍はお察しして頂ければと思います。

 

 


 

 

毛沢東や八路軍の実態についての歴史的検証は別として、毛沢東が自分たちにこそ「大義」があるという「物語」を提示し、それによって人心を掌握したということは間違いなく、その実例がランランさんの祖父母のお話だといえるでしょう。
「大義」の「物語」を持っていたことが、国民党よりも兵力でははるかに劣っていたにもかかわらず、共産党が天下を取れた最も決定的で重要な要因だったのかもしれません。
日本もその「物語」を成立させるための「悪役」にされてしまって、そのまま今日に至っているわけですが。

日本には日本の「大義」があったのであり、その「物語」を取り戻すべきだと主張したのが『戦争論』なのですが、これを絶賛したはずの自称保守がイラク戦争の際に「戦争に『大義』なんかない! 強い者が勝つだけ!」などと最悪な思想放棄の宣言をしてしまい、これもそのまま今日に至っていて、日本は未だに自分の物語を喪失したままです。

日本は日本の物語を取り戻さなければならない。
このテーマは、『戦争論』からずっと続いており、最新刊の『日本人論』に至っています!(時浦)

 

 

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